サンローランを買うデブと港区のピアノ教室
自分に似合う服はどんな服か?
少しでも服を自分で吟味して買ったことのある人なら、この問題を考えていることだろう
「この服のデザインが好きだから買った、でも似合わなかった」
なんてこともあると思う
高い布と化したそれらはクローゼットかメルカリの出品欄に収納してさよなら
いま持っている他のアイテムとの合わせ方を考慮できなかった反省をいかして次のマスに進んでください
最も罪深いのは「サイズの合わない服を買う奴」だ
そう「サンローランを買うデブ」だ
サンローランをご存じだろうか
「お前に必要なのは骨、皮、金」のサンローランである
つまり細い
極限まで細い
https://www.fashion-press.net/collections/gallery/21145/376434
ここまで細いと「着る人を選ぶ服」という他ない
当然僕は着れない。
僕「177 cm 60 kg」
サンローラン「10 kg痩せて出直して来い」
僕「すいませんでした」
於 新宿伊勢丹メンズ館サンローラン
そこに現れたのはデブ
腹の出たデブである
さぞかし美味い飯を食らっているに違いない
そんな人間がいるはずがない
だって玄関の幅がチンアナゴくらい細いから
嘘
サンローランのフロアにそんな人間の幻覚を見た僕が眼科へ行くべきか
サンローランに軽々しく踏み込んだフトッチョが整形外科へ行くべきか
別にサンローランを神格化するつもりはない
僕がそんなに好きじゃないから
そしてデブがいけないことでもない
面白くてモテてキレのある動きを実現した多能デブもいる
要するに適材適所
ガリガリ向けの服屋にデブが行くのは
ベジタリアンがステーキハウスに行くのと
競泳水着を買いに老舗着物店に行くのと同じだ
不可能なんだから
make the impossible possible は無理だから
於 知人宅
上記の話を知り合いにした
「港区でピアノの先生やってる知り合いがいてさ」
「ほう」
「教室に通う子供の保護者が金持ちでさ」
「へえ」
その知り合いの知り合いのピアノの先生は港区の良いところの家庭を訪問してピアノを教えているらしい
しかし夫婦の仲が良くなく、それは女性がお金目当てで結婚したかららしい
おそろしい話だ
そしてそんな家族にさした一縷の光がピアノの先生である
子供が一生懸命ピアノを弾いてる様を見て家族が団結するというストーリーである
もちろんピアノ教室は習い事であるから月謝が発生するが、その際父親が「僕たちの希望はあなただけなんです」と言いながら月謝の何倍ものお金を渡してくるのだそうだ
「サンローランに行くデブ」と「月謝の何倍も払う父親」
共通点はお金だ
金がなにもかも可能にしてしまうから
着れない服を買うし、金を多く払って家族の関係を取り持ってもらおうとする
この2つの話は遠いようですごく近くて、だから僕の中ではすごくリンクして覚えてる
何が大切なのかを見失ってしまっているような気がする
金があればサンローランは買える、でもそれは本当に買うべきものか?
本当に自分に似合う服を見つけることより、高い服を着ることに重きを置いてないか
似合う服より高い服を着て満足してないか、ごまかしてないか
そもそも似合う服を探す心を忘れたか、ごまかしていたことさえ忘れてしまったか
絶賛金欠中の僕は好き放題服を買うことができない
だから着れないサンローランにわざわざ行くことはない
さいわいである